1日外にいて身体を冷やしてしまったお参り翌日、私は風邪を引き高熱が出てしまいました。
病院に行っても妊娠中は薬も飲めないだろうと考え、自宅で寝て過ごし、数日後には熱も下がり身体も楽になりました。
その後は普段通り家事をしたり、安定期のうちに、と日帰りの旅行をしたりもしました。
6ヶ月目の検診へ
そろそろ性別がわかるかな、なんて思いながら受けた6ヶ月の検診で思いもかけないことをドクターから言われ、暫くの間は自分の身に何が起こったのか、現実として受け入れることが出来ませんでした。
「赤ちゃんの心臓が止まっている。形が崩れているから止まってから1ヶ月近く経っているよ。」
「なるべく早く外に出さないと母体が危険だから明日、明後日には出しましょう。」
「…。」
検査の為に血を取られながら、看護師さんからどういった処置をするのか、入院中に必要な物などの話をされましたが、涙が止まらずあまり頭に入ってきませんでした。
入院
翌日には入院し、子宮口を広げる処置をされました。
水分を吸うと膨らむ棒のようなものを入れるとの事でしたが、段階的に広げる為入れ替えがあり、私の場合これが非常に痛く「何でこんな痛い思いしなきゃいけないの!」と看護師さんにあたってしまう程でした。
次の日の朝、陣痛促進剤を入れられると、暫くして生理痛のような腹部の痛みを感じ、それがすぐに激しい痛みに。
身体の中から臓器を無理矢理に引っ張られているような痛みと吐き気に襲われました。
これが普通の陣痛なら良かった…。
痛みにもがきながらそんなことを考えていました。
元気な赤ちゃんに会う為の陣痛ではない、何も支えのないただの痛みでした。
助産師さんに言われ、分娩台に登り、その後数十分で赤ちゃんと胎盤が出てきました。
形が崩れていると言われた赤ちゃんでしたが、かわいい顔で綺麗な指をしていました。
赤ちゃんの写真を撮る方もいるそうですが、私はそれはしませんでした。
写真に残せば私の気持ちがこの子から離れなくなる。そしたらこの子も私から離れられず天国に行けなくなるんじゃないか、と感じたからです。
母子手帳には《子宮内胎児死亡》と記載されていました。
原因は不明でしたが、多分臍帯がねじれ過ぎてしまったのだろうとの話でした。
退院後
翌日退院してからは自宅アパートで過ごしましたが泣いてばかりいたように思います。
赤ちゃんを迎えるために用意した物を見る度、
テレビで赤ちゃんや幸せそうな家庭を見る度、
病院での出来事を思い出す度、
こんなに涙って出るもんなんだな…と冷静に思う自分もいるのに涙を止めることが出来ませんでした。
少しずつ外に出られるようになっても、妊婦さんや小さな子供にばかり目が行ってしまい辛すぎて泣いて家に戻る事もありました。
引っ越したばかりで近くに友達も居なかった為、家で1人でいる時間が多く、『なんで私が?』『あの時ああしていれば結果は違った?』なんて答えの出ない事をグルグル考え続けてしまう日々が続きました。
このままではダメだと料理教室に通っても妊婦さんと一緒になったり、始めたパート先にも妊婦さんが居たりと裏目に出る事が続き、本当にしんどい毎日でした。
また私が酷く傷ついたのは、たまに会う友人の多くが流産した事について何も言わない事でした。
もちろん気を遣っての事と分かりましたが、お腹にいた赤ちゃんの存在を無かったものにされたようで哀しくなってしまいました。
今思い返してもこの時が人生で1番辛い時でした。